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大阪高等裁判所 昭和33年(ネ)1601号 判決 1968年5月30日

被控訴人 株式会社泉州銀行

理由

一  控訴人俊三の責任について

控訴人俊三が被控訴銀行堺支店長在職中、被控訴人主張の預金がなされ、右預金について訴外片山博、桑原孝夫等より払戻請求があり、右請求が不正方法による払戻請求であることを知りながら右訴外人等と意思相通じ右訴外人等のため不正払戻をしたこと、その後預金者より払戻請求があつたため預金者に対し預金全額の払戻をし、被控訴人に対し被控訴人主張の損害を与えたことの認定並びに同控訴人の監督上の過失相殺の主張についての判断《省略》してみれば控訴人俊三は一、五八五万円(一、五九〇万円の内金を本訴で請求)及び内金六八五万円に対する昭和二九年(ワ)第一四四号事件訴状送達の日の後であること記録上明である昭和二九年七月一七日以降内金九〇〇万円(九〇五万円の内金を本訴で請求)に対する同年(ワ)第一九八号事件訴状送達の日の翌日であること記録上明である同年一〇月一八日以降各完済に至る迄民法所定年五分の割合による遅延損害金支払の義務がある。

二  控訴人行雄、同大矢の身元保証責任について

(一)(1)控訴人大矢が控訴人俊三の被控訴銀行入行に際し被控訴人主張のような身元保証をなしたことは控訴人大矢、被控訴人間で争がない。

(2)控訴人行雄は当審において身元保証をなした旨の自白は錯誤に基くものであり、真実に反するから之を取消す旨主張する。およそ身元保証契約の締結は被用者乙が丙に対し身元保証人となることを懇請し、丙が之を承諾したときは、身元保証書に署名又は記名捺印して之を乙に交付し、乙から使用者甲に差入れる場合が多く、この場合乙は丙の使者として丙の意思表示を甲に伝達したものと認められるが、本件の場合にあつても、原審での控訴人行雄本人尋問の結果と当審での控訴人俊三本人尋問の結果によれば、控訴人俊三が控訴人行雄に対し身元保証人となることを懇請するため控訴人行雄方に赴いた際、控訴人行雄は不在であつたため、その母とめに意向を伝えておいたところ、控訴人行雄は母より之を聞き身元保証人となることについて気が進まないものがあつたが、さりとて之を拒否する態度も示さなかつたところから、控訴人俊三の懇願に応じて母とめは控訴人俊三の持参した身元引受書(甲第三号証の記載から捺印後記入されたものと認められる)、右身元引受書は控訴人俊三より昭和二六年六月二六日頃被控訴人に提出されたこと、控訴人行雄は右事実を知り之を黙示的に承認していたことが認められる。

右認定に抵触する当審における控訴人行雄本人尋問(第二回)の結果は原審における控訴人行雄本人尋問の結果及び原審証人角谷得一の証言と対照すると採用することができない。

してみれば控訴人俊三が甲第三号証の身元引受書を被控訴人に伝達したことにより身元保証契約は成立したものということができ、自白が真実に合致しないものとは認め難いから、控訴人行雄の自白の取消は許されない。

(二)控訴人行雄は本件身元保証契約は身元本人が一行員として入社するについても身元保証をしたものであり、身元本人が支店長となることは予想していなかつたから、右契約は要素に錯誤があり無効であると主張するが、仮りに身元本人の将来の地位について錯誤があつたとしても、それは動機の錯誤であり、かかる動機が表示されたとする証拠はないから、その主張は採用できない。

(三)控訴人行雄は本件身元保証契約は、控訴人俊三、被控訴人間に将来堺支店開設の際は右俊三を同支店長にするとの黙約が存することを秘してなされたもので、詐欺による意思表示であるから之を取消す旨主張するが、仮りに右の黙約が存在していたとしても、被控訴人に詐欺の故意があつたとする証拠はないし、又本件の如き場合かかる黙約を身元保証契約に際し控訴人行雄に告知すべき義務が法律上、信義則上存するとは認められないから、その主張は採用の限りではない。

(四)控訴人行雄、同大矢は控訴人俊三が普通行員として入行するについて身元保証をしたものであるから、俊三が堺支店長に昇進した以上被控訴人は身元保証責任を問うことはできないし、又、被控訴人から俊三の支店長就任について控訴人行雄同大矢に通知がなされなかつたため、身元保証契約を解除することができなかつたから、支店長就任後生じた本件損害について控訴人等は保証責任を負担しないと主張する。

しかしながら、身元保証をなす者の意思が、身元本人の地位が保証当時と同一である限り保証の責に任じ、昇進して地位の変動が生じた後はその責に任じないというようなことは異例の場合であり、その保証責任は特段の意思表示がなく、又特に予測しない地位の異常変動がない限り、昇進による地位の変動により消長を来さないものと解すべきである。本件の場合にあつては、右の特段の意思表示があつたとする証拠はなく、又控訴人俊三は入行後二年を経ずして堺支店長となつたことは当事者間に争がないが、当審における控訴人俊三本人尋問の結果によれば、同人は二〇年間日本銀行に勤務した経歴を有し、被控訴人は創立後日も浅い銀行であつたことが認められ、その経歴、年令等から考えると入行後二年足らずで支店長に就任することは必ずしも異常な地位の変動ということはできない。又被控訴人に身元本人の任務の変動について通知義務の懈怠があつたとしても、それは保証責任の限度を定めるにあたり斟酌すれば足りるもので、之がため保証責任を左右する法文上の根拠は見出し難い。控訴人等の主張は採用できない。

(五)尚控訴人俊三の責任についての過失相殺を前提とする控訴人行雄、同大矢のその余の主張は、その前提が採用できないこと前説示の通りであるから、採用の限りでないことは勿論である。

三  控訴人行雄、同大矢の保証責任の限度について

《証拠》を総合すると、控訴人等が身元保証をなすに至つたのは、物質的或は経済的な利害打算に由来するものではなく、控訴人大矢は身元本人の妻の兄にあたり、控訴人行雄は身元本人の甥であるが、身元本人の本家の家督相続人で家業たる肥塚酒造株式会社を主宰していたという身分関係にあり、このような親族間の情義的動機に出たものであること、本件身元保証契約の締結は被控訴人が直接保証人に面接し締結されたものでなく、不動文字で印刷されている甲第三号証身元引受書に保証人として署名又は記名捺印し、身元本人が使用者に提出することにより成立する、いわば形式的慣行に従つてなされたものであること、控訴人大矢は身元保証後被控訴銀行に入行したが、銀行内での地位はむしろ身元本人が上位にあつたと認められ、又控訴人行雄と身元本人とは年令差もあり、さきに認定したような事情で身元保証を承諾したに過ぎず、共に事実上身元本人を監督する立場にはないこと、身元本人が堺支店長に就任する忙際し、被控訴人は控訴人等に対し任務変動の通知を懈怠していること(右に反する原審並びに当審証人末田豊の証言は採用しない。)、被控訴人は創立後日が浅かつたため預金増強に力を注いだが、その反面被控訴人の支店長を含め行員に対する指導監督体制が未だ整備されていなかつたと認められること、控訴人大矢は本件不正払戻により保証責任を追及され被控訴銀行を退職するを余儀なくされ、再就職したがその収入は月収五、六万円、資産として借家二十数軒を有しそれよりの家賃収入は五万円程度であること、控訴人行雄は家業たる肥塚酒造株式会社の代表取締役たる地位にあること等の事情が認められ、之等被控訴人の身元本人に対する監督状況、身元保証人が保証をなすに至つた事由、之をなすに当つて用いた注意の程度、身元本人の任務、身上の変化等一切の事情を斟酌するときは、保証責任の限度は、控訴人大矢については被控訴人が鈴木輝一、三谷一郎に対し払戻した部分(原審昭和二九年(ワ)第一四四号事件)に関しては一三〇万円、杉本純外五名に払戻した分(原審同年(ワ)第一九八号事件)に関しては一七〇万円、控訴人行雄については同様前者の分に関しては二二〇万円、後者の分に関しては二八〇万円とするのが相当であり、右の各限度で控訴人俊三と連帯して支払う義務があるというべきである。

四  仍て、控訴人俊三の本件控訴は失当であるから之を棄却すべきであるが、控訴人大矢同行雄に対する請求については控訴人俊三と連帯して、控訴人大矢については、金三〇〇万円及び内金一三〇万円に対する昭和二九年(ワ)第一四四号事件訴状送達の日の後であること記録上明かである同年七月一七日以降、内金一七〇万円に対する同年(ワ)第一九八号事件訴状送達の日の翌日であること記録上明かである同二九年一〇月一八日以降各完済に至る迄民法所定年五分の割合による損害金、控訴人行雄に対しては金五〇〇万円及び同様に内金二二〇万円に対する同年七月一七日以降内金二八〇万円に対する同年一〇月一八日以降各完済に至る迄民法所定年五分の割合による損害金の各支払を求める限度で正当として認容すべきであり、その余は失当として棄却すべきであるから、原判決中控訴人大矢、同行雄に対する部分を主文三、四項のように変更することとし(尚被控訴人は当審で遅延損害金を求める部分を年五分に減縮するが、右減縮部分は訴の当初に遡り訴訟係属を生じなかつたことになり、この部分に対する原判決は効力を失うに至つたから控訴人俊三の本件控訴は棄却するにとどめる。)……。

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